"あまあま"な生活日記

「食」と「自分」に厳しく生きたいブログ初心者。

世間に縛られなくない

実家のある富山にいます。

 

 

正直なことを言うと。

富山に帰ってきたくないんです。

 

 

世間っていうしがらみに縛りつけられて辛いんです。

 

 

私が上京してから気づいたんですけど。

 

 

実家の親は見栄っ張りだった。

 

 

実家の周りは親戚に囲まれる古い家で世襲制が未だに蔓延っている。

 

 

どんな高校、大学、見た目

 

それを選ぶのは私なのに

「世間」に縛りつけられた親と認識が一致していないといけない。

 

 

かくいう私も「親」「家」という存在に縛りつけられている。

 

 

そういう私の特徴として

名前を呼ばれるのが嫌いなんです。

 

 

名字は自分の親戚、世襲制の家柄

地元にありふれた名字が私を「家」と「富山」に縛っている気がする。

 

 

あと私の名字が漢字表記だと固そうなんで縛られるイメージが強くなるのだと思う。

 

(だからよっぽどでないと漢字で名前を書かない。)

 

 

下の名前は親が願いをもってつけてくれているし。

 

それが「こういう風に成長してほしい」っていう願望がもはや欲望になってきている。

 

 

だから世間に縛られたくなくて私は自分の名前が好きじゃなかったりする。

 

 

だから初対面の人に

「なんて呼んだらいい?」と聞かれると

「なんて呼んでくれてもいい」と答えるのには意外にも深い理由がある。

 

 

名前で呼ぶと人として距離が縮まるって自己啓発本に書いてあるけど

 

 

そんなことはない。

 

 

と言うものの

「名前で呼ばない方がいいのか?」ってわけでもない。

 

 

仲良いのに名前を呼んでくれない人は

私から名前を呼ぶように仕掛けるので何も問題はない。

 

 

仲良い人なら名前を呼んでくれるだけで嬉しいから

 

 

その人が「私をどう呼びたいか」を一任している。

 

 

つまり仲良くない人は

名前で呼んでくれなくていい。

 

以上